東京高等裁判所 昭和51年(行コ)86号 判決 1978年6月21日
控訴人 株式会社昭和カラー
被控訴人 横浜中税務署長
訴訟代理人 菊地健治 三宅康夫 ほか二名
主文
原判決を取り消す。
本件を横浜地方裁判所に差し戻す。
事 実 <省略>
理由
一 控訴人は、原審裁判所が被控訴人の本案前の申立を棄却する旨の中間判決をしたと主張するが、本件記録を精査しても原審裁判所が原判決のほかに被控訴人の本案前の申立につき何らかの裁判をした事実は認められず(もつとも、本件記録によれば、被控訴人が昭和四七年一二月一九日付の答弁書(同日の原審第一回口頭弁論期日において陳述)において本案前の主張を提出したので、これについて当事者双方準備書面を交換後、原審裁判所は右本案前の主張についての証拠調を行い、右証拠調は昭和四九年五月二一日の原審第八回口頭弁論期日で終了し、その後本件は準備手続に付され、昭和五〇年一月三一日から昭和五一年三月二四日まで七回にわたつて準備手続が重ねられ、右準備手続においては本案に関する当事者双方の主張の整理が行われたこと、ところがその後本件の審理を担当する裁判官全員の更迭があつて、新に構成された合議体は同年四月一九日準備手続の取消決定をし、その後実質的には一回の口頭弁論の後訴却下の原判決を言渡したことが明らかであるが、右手続の経過からただちに原審裁判所が原判決前に被控訴人の本案前の申立につき裁判をしたということはできない。)、そうすると、原審において原判決とは別個に被控訴人の本案前の申立につき裁判があつたことを前提とする控訴人の主張は採用の限りでない。
二 そこで、被控訴人の本案前の主張の当否につき検討することにする。
1 (1)控訴人が、昭和四四年一月三一日、昭和四二年一二月一日から昭和四三年一一月三〇日までの事業年度の法人税について、所得金額を二二〇万一七〇九円、法人税額を五六万三二〇〇円とする確定申告をしたところ、被控訴人が、昭和四四年六月二三日付で右事業年度の所得金額を七四四万一八四九円、法人税額を二三三万一三〇〇円とする更正処分及び過少申告加算税を七万四〇〇〇円、重加算税を八万五八〇〇円とする各賦課処分をしたこと、(2)控訴人が、右更正処分等を不服として、同年七月二二日、異議申立をしたところ、被控訴人が、同年一〇月一三日、所得金額七一六万〇一二九円、法人税額二二三万三二〇〇円、過少申告加算税額七万八〇〇〇円、重加算税額三万二七〇〇円とする決定をしたこと、(3)控訴人が、更に同年一一月一二日、東京国税局長に対し審査請求をしたところ、国税通則法の改正に伴いこれを引継いだ国税不服審判所長が、所得金額六五九万二五三八円、法人税額二〇三万五〇〇〇円、過少申告加算税額七万三五〇〇円、重加算税額零とする裁決(以下、本件裁決という。)をし、同裁決書の謄本が、昭和四七年七月二七日、更に同裁決書の訂正通知が、同年八月六日、それぞれ控訴人に対し送達されたこと、以上の事実は当事者間に争いがなく、本件訴が、同年一一月四日、提起されたことは本件記録上明らかである。
2 本件取消訴訟の出訴期間について、被控訴人は、控訴人が本件裁決書の謄本の送達を受けた日である昭和四七年七月二七日から起算すべきであると主張するのに対し、控訴人は、控訴人が本件裁決書の訂正通知の送達を受けた同年八月六日の翌日から起算すべきであると主張する。
思うに、行政庁が先にした処分を訂正する行為をした場合に、右訂正行為が実質的には先になされた処分内容を取消又は変更するもので、これによつて先の処分に基づく法律関係に変更を生じるものであるときは、出訴期間も右訂正行為のときを基準として計算すべきものであるが、その訂正行為が先の処分の内容を変更せず、単にその誤記、誤謬を訂正するにすぎないものであるときは、出訴期間も先の処分を基準として計算すべきであると解される。
これを本件にみるに、<証拠省略>によれば、本件裁決書の訂正は、本件裁決書の理由欄中に、控訴人が昭和四三年六月二四日弁護士小原栄に交付した金員につき五箇所にわたり「三〇〇、〇〇〇円」と記載されているのをいずれも「三〇、〇〇〇円」と改めたもので、本件裁決書のその余の部分は右交付金額が三万円であることを前提にした記載となつているので、右金額の訂正は本件裁決書のその余の部分の記載には全く影響がなく、単に理由中の誤記を訂正したものにすぎないことが明らかである。
本件裁決書の訂正が右のようなものである以上右訂正の通知は、本件取消訴訟の出訴期間を左右するものではなく、控訴人は、本件裁決書の謄本の送達を受けた日である昭和四七年七月二七日に本件裁決のあつたことを知つたものと推認すべきであるから、行政事件訴訟法一四条四項により同日から三か月以内に本件訴を提起すべきであるところ、前述のとおり控訴人は同年一一月四日にこれを提起したのであるから、右不変期間を遵守しなかつたことが明らかである。
3 ところで、控訴人は、控訴人が本件訴を昭和四七年一一月四日に提起するに至つたのは、本件裁決書の訂正通知が「審査請求裁決書謄本在中」なる不動文字の印刷されている封筒に入れて控訴人に送達され、また、同年七月末頃東京国税不服審判所横浜支所の川手副審判官から、電話で出訴期間は本件裁決の訂正のあつたときから起算すべき旨の教示を受けたので、本件の出訴期間は右訂正通知の送達のときから起算すべきものと信じたからであり、右は控訴人の責に帰すべからざる事由によつて不変期間たる出訴期間を遵守することができなかつた場合であり、訴訟行為の追完をなしうるものであると主張する。
<証拠省略>を合わせると、本件裁決にあたつては、東京国税不服審判所横浜支所の副審判官川手真造が担当審判官、参加審判官らを補佐して実際の調査を担当したが、控訴人代表者渋谷茂は右調査の段階から川手に対し国税不服審判所の裁決に不満がある場合には訴を提起するつもりである旨告げていたこと、川手は、本件裁決手続が終了したとして一件記録が東京国税不服審判所から同横浜支所に送付されてきた際、右記録を再読したところ、本件裁決書に前記誤記があることを発見したので、東京国税不服審判所にその旨連絡を取つたところ、控訴人にその旨連絡してその了解を得るよう指示されたので、昭和四七年七月下旬頃、控訴人代表者渋谷茂に対し、電話で、本件裁決書謄本の右誤記の訂正につき告げたこと、その際渋谷は、川手に対し、本件裁決書謄本の送達は受けたが、本件裁決には不服であるので、取消訴訟を提起するつもりでいる、ついては本件裁決の訂正についても正式の書面により通知されたい旨求め、川手がこれを了承したので、出訴期間については右訂正通知の文書が来てから起算していいのかと質問したところ、川手は、そうだと答えるとともに、本件裁決の取消訴訟の被告は国税不服審判所長ではなくて横浜中税務署長であると答えたこと、そして、川手は東京国税不服審判所に渋谷が書面による訂正通知を求めている事実を伝え、右訂正通知書は同年八月六日控訴人に郵送されてきたが、同通知書は「審査請求裁決書謄本在中」と不動文字で印刷した卦筒に入れてあり、配達証明郵便とされていたので、渋谷は、川手の前記回答と合わせて、本件裁決書謄本の送達が右訂正通知の郵送によつてはじめて完結し、本件取消訴訟の出訴期間は右訂正通知書が郵送されてきた日から起算すればいいものと信じて、同日から三か月以内である同年一一月四日に本件訴を提起したことが認められる。
<証拠省略>によれば、同審判所における調査の結果では、同審判所係官が控訴人に対し本件裁決の取消訴訟の被告及び出訴期間につき教えた事実はないというのであるが、原審及び当審証人川手真造は、少なくとも右の被告については国税不服審判所長でなくて横浜中税務署長であると教えた旨供述しており、<証拠省略>の前記記載は右取消訴訟の被告を教えたとの点で右川手の供述と矛盾しているし、また右川手の供述は、右被告につき教えたことを認めるも、出訴期間については教えたことはないと供述する一方では、出訴期間について教えたことは記憶がないと供述するなど右供述部分は、一貫性を欠きあいまいであり、前掲控訴人代表者の供述と対比しただちに措信できず、他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。
右認定したところに基づき考えるに、控訴人代表者渋谷茂は、本件裁決の調査を担当した副審判官の言に基づき、本件裁決の取消訴訟の出訴期間は、本件裁決の訂正通知が控訴人に郵送されたときから起算すべきものと信じたものであり、右に認定した事実関係のもとでは、控訴人代表者が右のように信じたことをもつて同人の過失とするのは相当でなく、右訂正通知が控訴人に郵送された日である同年八月六日から三か月以内に提起された本件訴については訴訟行為の追完を許すのが相当である。
三 よつて、本件訴は、結局適法であるから、民事訴訟法三八八条に従い、本件訴を不適法として却下した原判決を取り消し、本件を横浜地方裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり判決する。
(裁判官 安岡満彦 内藤正久 堂蘭守正)